シューメーカー『愛と正義の構造』

ミリャード・シューメーカー、加藤尚武他訳(2001)『愛と正義の構造―倫理の人間学的基盤―』晃洋書房、読了。


▼完全義務、不完全義務、スーパーエロゲーションなんかの観念史。どうも私の求めるものではなかったようだ。求めていたのは、スーパーエロゲーションが倫理学の中でどのような位置づけを与えるのが最も整合的かという、あくまで倫理学的な関心。なんであれ歴史というものはどうにも好きにはなれない。歴史を学ぶことが現在に繋がる、とよく言われるように思うが私にはそこがどうも胡散臭く感じてならない。事実から規範は導き出せない。


▼さて。どうも気恥ずかしい邦題だが、かの加藤御大が訳している。もっと普通の邦題はなかったのか。完全義務、不完全義務という枠組みはカントやミルなどが用いていたらしい。要チェックである。


▼御大は解説でこう述べる。

倫理学のもっとも基本的な問題でありながら、これまで系統的な書物が一度も書かれたことがなかったという不思議なブラック・ホールが存在する。愛と正義の関係である。(・・・)不完全義務と完全義務の関係である。(187)

倫理学の根本問題」というような書物は、現代でも多数出版されているが、完全義務と不完全義務を扱ったものがないというのは、ちょっとスケールの大きい理論的なスキャンダルではないだろうか。(192)

かの御大がこう言うほどなのだから、スーパーエロゲーションというものはよほど人々の関心を引かなかったものらしい。極めて重要なものだと思うのだが。


▼また御大は応用倫理学を「不完全義務の完全義務化」として捉える見方を提示しているが、これは中々おもしろい。ロールズ社会福祉(慈善)を完全義務化しようとしたが、それに対してノージックが「慈善は不完全義務である」という極めて常識的・伝統的な反論を行った。この見方も中々おもしろい。このような見方で倫理学を眺めてみるのもおもしろそうである。ロールズを読もう。