2010-01-01から1年間の記事一覧
ブログ再開だおっ。最近行ってきた猫カフェと宮城旅行 しかし、旅行の後はしばらく鬱になるのがつらいところだな・・・(´・ω・`)
Sandel,M.J, 2010, Justice, Penguin Books.を読む。日本語ではこれ→「これからの「正義」の話をしよう」久しぶりの更新です。学会報告、カス等々順次たまったものをうpしていきます。とりあえず今日はサンデル。サンデルブームに乗っかろうキャンペーン!…
第3章 優れたパフォーマンス を読む。これも講義で扱っているのでちょっとずつ感想を書いていく。50頁くらい分量があるけど、内容としては、一言で言える程度のもの。(ある種のバイオテクノロジーのような)人間性や尊厳を冒すようなことはしないようにしよ…
サンデル(2010)(林芳紀他訳)『完全な人間を目指さなくてもよい理由』ナカニシヤ出版 を授業で読んでいるので、ちょっとずつ感想を書いていく。アメリカで聾の親が聾の子供を作ろうとする話が物議を醸した話から入って、身長・記憶力・性選択・筋力増強に…
この問いに対して、多くの人は「燃やしていい」と答えるだろうとした上で、続けてこのように述べられている。 たしかにそのゴッホの絵は彼の所有物である。だから国家に寄付するのも、さらに高く売るのも、やすく売るのも彼の自由である。しかし、ゴッホの絵…
加藤秀一(2001)「身体を所有しない奴隷―身体への自己決定権の擁護―」『思想』922を読む。 自己身体にかんする所有権は、私がこの私としての存在を享受するための条件をなす・・・しかし他方、所有(権)という概念の本質に含まれる譲渡や移転の可能性は、…
私はここに宣言します。 働きたくないでござる! でも死にたくもないでござる。なぜ生まれてきてしまったのでござるか。これはまさにロングフルライフ訴訟。生まれてこない方が良かったつって訴訟起こせる時代になってるらしいですよ。すごい時代だよ。まっ…
本が届いた。Beyond the Call of Duty: Supererogation, Obligation, and Offence (Suny Series in Ethical Theory)作者: Gregory Mellema出版社/メーカー: State University of New York Press発売日: 1991/10/01メディア: ペーパーバック クリック: 1回こ…
人間の尊厳、生命の尊厳、人体の尊厳。尊厳、尊厳って、いったい尊厳ってなんなんだよ・・・。「尊厳がある」=「尊厳があってほしい」っていうことじゃないの?違うのか?だとしたら、なんで尊厳だけ自明視されるんだよ。おかしいじゃないかよ。いったい尊…
人間は単に個として孤立的に存在するのではなく社会的存在であることからすれば、やはり生命処分については内在的制限があると思われ、「殺害されることを請求する権利」や「自殺の権利」としての自己決定権を承認することはできない。 甲斐克典(2004)「刑…
やるべき事が済んだら倫理学を1からおさらいしよう。適当に今後アップデートしていくよ(^^)/ ▼大昔 プラトン アリストテレス 全部?特に『ニコマコス倫理学』 ▼昔 カント 全部。特に『実践理性批判』 ミル 『自由論』 『功利主義論』 ベンサム シジウィック …
サンデルのハーバード白熱教室に行ってきた。英語をペラペラと話すリア充ばっかだった。政治、哲学。単体でもリア充達が避けそうな分野である。そのコンポたる政治哲学。それなのに・・・(´・ω・`)。残されていた最後の楽園でさえリア充に占拠されてしまった…
▼7月に改正臓器移植法が施行されてからもう3例目らしい(合計で89例目)。2ヶ月で3例。ペースが早い気がするが、どうだろうか。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100822-00000279-yom-soci1997年に旧臓器移植法が施行されてから、改正臓器移植法が施行さ…
しかし、彼らは次のような別のたとえ話にどのように反応するだろうか。そこでは、あらゆる人々が眼窩が空のままで生まれてくるのだが、ほとんどないし過半数は、眼球樹の下を通り過ぎるときに眼球が眼窩に落ちてくることになり、一方、その他の少数派はそう…
自由派:身体を売ったり処分したりするのは自由だ。臓器売買や代理母なんて自由であるべきなんや尊厳派:身体には尊厳があります。だから自由にしちゃだめですよ自由派:私は身体に尊厳があるなんて思わんで。だから自由にしてええやろ尊厳派:いや、だから…
ノブレス・オブリージュってなものをどう考えればよいだろうか?▼1.あなたが医者であったとする。目の前に病に苦しむ人がいるとする。あなたはそれを治すことができるとしよう。さて、あなたにとって病人の治療は(道徳的)義務なのだろうか。義務ではない…
某氏より哲学論文の心得を教わった。曰く、慎重に一から”自分の”議論を積み上げること 曰く、設定した領域に関してはあらゆる可能性や問題を検討し回答を示すこと 曰く、”自分で”考えること。他者の議論に乗っかるのはだめ。参照するにしてもそこんとこが大…
『脳死・クローン・遺伝子治療』にて。 自分に見返りが絶対にないと分かっても人助けをするのは、相互性よりももう一段上の倫理である。英語ではスーパーエロゲーション(supererogation 責務を超える善行)という。(p.43) 臓器提供の善意は、(・・・)責…
『正義論』でロールズ先生は次のように申しております。 "Supererogatory acts are not required, though normally they would be were it not for the loss or risk involved for the agent itself."(Rawls 1971:117[邦訳: 89])「スーパーエロガトリーな…
▼ある一人の人の人生を考えてみる。1.彼は生を与えられる。これは明らかに彼にとって快楽ではないだろう。ひょっとすると苦痛かもしれない。当然選好もない。彼にとって、誕生は明らかな善とは言えない(功利主義的に考えて)。2.彼は死ぬ。これはおそら…
あらゆる場面において、この世の中には不平等が伴う。経済的な不平等、才能の不平等、親、外見、健康etc。例えば、日本に生まれるか、第三世界に生まれるか。日本に生まれるにしても、医者の子か、フリーターの子か。志望大学に受かるか否か、サッカー選手に…
功利主義は功利主義で魅力的だよなぁ
殺すこと = 死ぬにまかせること ? スミス = ジョーンズ ? 作為 = 不作為 ? 法と道徳での捉え方の違い。 いとこを溺死させたスミス、溺れたいとこを助けなかったジョーンズ。法的にはスミスは殺人であるが、ジョーンズは無罪(なのかな?実際のところど…
Arneson, R., 1991, “Lockean self-ownership: towards a demolition,” Political Studies 39 (1): 36-54Christman, J., 1991, “Self-ownership, equality, and the structure of property rights,” Political Theory,19 (1): 28-46 Curchin, K., 2007, “Deb…
倫理と法の関係があまりに曖昧過ぎる。これについての研究がほとんどなされていない。私の不勉強かもしれないのでアレなんですが、それはおいといて。君は人を殺すべきでない。君には殺人を犯さないという法的義務がある。君は井戸に落ちようとしている子供…
他者危害原則から倫理学の体系を構築できないだろうか。この世の中、他者危害原則をおいて他に異論の余地のない原則というものはないように思われる。功利主義ならまだしも、義務論や徳倫理なぞは現実的な有効性としては厳しいような気がする。危害を狭く解…
石原孝二・河野哲也編(2009)『科学技術倫理学の展開』玉川大学出版会 ごはんも食べたい、パスタも食べたい、味噌汁もいいな。そうだ全部混ぜればいいじゃん!→ ・・・何これ? みたいな本。ごちゃまぜ。この手の、複数の著者が各自論じるタイプの本って大…
村上喜良(2008)『基礎から学ぶ生命倫理学』勁草書房扱っている対象自体は一般的な生命倫理学の教科書と同じで良いのではないかと。ただ、主張の根拠づけのところで首を傾げたくなることが多い印象。 例えば、中絶におけるトムソンの思考実験の話で、 トム…
ヘア『道徳的に考えること』11章 ヘアは、二層功利主義の立場から、スーパーエロゲーションの困難を解決できると主張している。やはり功利主義者にとってスーパーエロゲーションが欠点となりうるという認識は広く浸透しているのだろうか。 明晰でわかりやす…
小松美彦・香川知晶編(2010)『メタバイオエシックスの構築へ』NTT出版 よくできた論文集だと思う。廣野さん、香川さん、田中(智)さんの章は個人的に特に印象に残った。機会があれば章ごとに詳しく検討してみたいところ。一読して疑問に思ったのは、果…