他者危害原則

他者危害原則から倫理学の体系を構築できないだろうか。

この世の中、他者危害原則をおいて他に異論の余地のない原則というものはないように思われる。功利主義ならまだしも、義務論や徳倫理なぞは現実的な有効性としては厳しいような気がする。

危害を狭く解釈すれば、自ずとリバタリアン的な主張になる。これは魅力的だが、直観に反する事があまりに多すぎる。それはそれで正しいのかもしれないが、生きていくのが大変だよね。

一方、危害を広く解釈すれば、必ずしもリバタリアニズムには与しない主張も可能である。こっちの路線も検討してみないといかんね。自己所有権の文献を読んでいると、どうもここから自己所有権を打ち崩そうとする人も多いようだ。