倫理と法の関係

倫理と法の関係があまりに曖昧過ぎる。これについての研究がほとんどなされていない。私の不勉強かもしれないのでアレなんですが、それはおいといて。

君は人を殺すべきでない。君には殺人を犯さないという法的義務がある。君は井戸に落ちようとしている子供を見かけたら助けるべきだ。君には子供を救うという道徳的義務がある。・・・

「べし」とはどういう意味なのだろうか。法的義務、道徳的義務、善行。「法は倫理の最小限」なんか言われるけども(誰が言ったのけ?)、いかなる倫理が法になるべきなのだろうか。我々は常々好き勝手にべしべし言う(特に倫理学者は)。曰く、困っている人を見たら助けるべきだよ、と。臓器移植はするべきではないよ、と。そのべしべしを全て法にするべきなのだろうか。はたまた、べしべしの中でも更にセレクションがあって、法という貴族に成り上がるためにはある種の条件が必要なのだろうか。

倫理⇒○○⇒法、この○○の部分について探求が必要だろう。これはまた義務と善との関係、つまりスーパーエロゲーションにも示唆を与えることができそう。