ロールズ先生曰く
『正義論』でロールズ先生は次のように申しております。
"Supererogatory acts are not required, though normally they would be were it not for the loss or risk involved for the agent itself."(Rawls 1971:117[邦訳: 89])
「スーパーエロガトリーな行為は要求されない。行為者自身の損失やリスクが絡まなかったとしたら、通常はスーパーエロガトリーな行為は要求されるとしても。」
この解釈は難しい。前半と後半は正反対のことを言っている。1.前半に力点があるとすると⇒おまいさんはスーパーエロガトリーな行為をしなくてもよいのじゃよ。損失がゼロならばしなきゃならんのだが、実際にそんなことはありえないからの。心配せんでええよ、ほほほ。となる。文章通りに解釈すれば、こちらの解釈になる。損失ゼロの場合に限り、スーエロが義務だとする解釈。
2.後半に力点があるとすると⇒おまいさんはスーパーエロガトリーな行為をしなくちゃならんのだよ。そんなに損失を被らないはずじゃからな。頑張りなさい。となる。文章を好意的に緩めて解釈するとこういう読みもできる。損失が少ない場合に、スーエロが義務だとする解釈。
私の抱くロールズ像からすると、ロールズの本意は2だろう。恵まれない人を、少々の損失で救えるならば、それは義務だと言いそう。1はそもそも実際上はありえない話だし。井戸に落ちそうな子を救う行為は、たとえ数分とは言え時間的損失や労力を割かなければならないが、やはり(道徳的?)義務だと考える人が多いだろう。相互保険型の臓器移植制度(死後の提供意思を示した人間が、移植が必要となった場合優先的に受けられる)なんかもこの種の義務だと考えられないこともない。 追記:相互保険型というより、徴用型の臓器移植制度(死後の臓器提供は義務である)の方が義務として適切だった。訂正。
とても魅力的な考え方である。けども、個人的にはスーエロを義務だと言い放ってしまうことにためらいを感じる。そこにはある種の傲慢さが混入する。どう考えればよいのでしょうか。
- 作者: ジョン・ロールズ,矢島鈞次
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